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ようこそアルゼンチン観光へ ! / Welcome to Argentine Kanko!

ブエノスアイレス (BUENOS AIRES)    
ブエノスアイレス情報(好みの項目をクリック)
RESEÑA HISTORICA - 歴史概要
アルゼンチン。生い立ち:
14921012 日、コロンブス、ついにアメリカ へ上陸。時は流れ、1516年、 スペイン人フアン・ディアス・デ・ ソリスが率いる探検隊が、Mar Dulce(略=真水の海)を発見!。この 真水の海は現在ラプラタ河と呼ばれて いる。
しかし、この探検隊が発見した地域は 、現在のウルグアイ側岸であった。
  1534年、スペインの富豪貴族ペ ドロ・デ・メンドサが当時の国王カルロス 5世に実費によるアメリカ航海( Jornada a Indias)を申請した。航海の経験が 少なかったメンドサはポルトガル人冒険野 郎達にラプラタ河地域を先取りされるのを 恐れていた。しかし、目的はこの地域のポ ルトガル進出に歯止めをかける為だけでは なかった。彼の持病であった性病の特効薬 を見つけるのが目的だったとも言われてい る。
15362月、ラプラタ河へ到 着。ラプラタ河支流Riachuelo 沖に Santa María del Buen Ayre. 砦を設けた。現在のブエノスアイレ スの名前の縁、そしてブエノスアイレスの歴 史の第一歩がここに築かれた。しかし、メン ドサの率いる探検隊は食料不足と原住民達の 迫害により、とうとう5年後に撤退せ ざるを得なかった。また持病の為、メンドサ の健康は著しく衰えていたが、側近達は他の 地方探検に出発した。
1537年、メンドサの側近フアン・サラ サル・デ・エスピノサはラプラタ河区域最初 の永住地、アスンシオン(現在、パラグアイ の首都)を設立した。アスンシオンを基点と したスペイン人は徐々にパラナ川とパラグア イ川の間にあった地域を制覇した。又、この 領土の自然条件が非常によく、スペインから 持ってきた少数の家畜が急増した事も安定し た牧畜経済を可能にした。
現在のアルゼンチン領土で最初の永住地となる Santiago del Estero1553年、ペルーから南下したスペイン人開拓者達により設立される。
1573年にコルドバとサンタフェが設立された。ブエノスアイレスの2回目(最終的)設立はフアン・デ・ガライにより1580年に実現された。
1620年、全ラプラタ河地域の総務管理はペルー副王政権下に入った。スペインの経済保護政策の為、17世紀のこの地域の開発はあまり進まなかった。ただし、ブエノスアイレスは輸入品の取引センターになった為、次第に拡張し、18世紀の半ばにはその人口は20.000人にも達した。1776年、現在のアルゼンチン、ボリビア、パラグアイとウルグアイが占める領土はペルー管轄から外され、ラプラタ河副王政権が設けられた。大西洋航海を通じて一番、スペインとの連絡が容易であったブエノスアイレスがその首都になり、急激な発展をしてゆく。
だが、植民地行政に参加する機会を与えられずにいた、クリオージョ(アメリカで生まれたスペイン人の子孫)達の不満の声が高まる。1806年―1807年、2度にわたり、ブエノスアイレスは英国軍の侵入を受けるが、クリオージョ達が大活躍したおかげで侵略は失敗に終わった。しかし、活躍したのはクリオージョ軍だけではなかった。! 女、子供、市民全員が 屋根の上から石や煮たぎった油を敵に浴びせた。この2回の戦いで大活躍した、クリオージョ達は自信をつけた。今でもこの戦の弾痕、利用した地下道の一部等は見る事が出来る。また、母国スペインへのナポレオン侵略に伴う混乱を機会に、独立熱が高まる。
* 1810525日(革命記念日)、ブエノスアイレス市は、ラプラタ副王政権を廃止する。そして、小雨の降るこの日、クリオージョ達は初の政権獲得に歓声をあげながらカビルド(当時の市会―現在もこの建物は保存されている)前の広場に集まった。しかし、副王政権を廃止したにもかかわらず、クリオージョ新政権は、スペイン国王、フェルナンド VII 世に忠実を誓う。
 
* 181679日(独立宣言記念日)。全国殆どの代表者がツクマン市に集合し、リオ・デ・ラ・プラタ合衆国の名の元に独立を宣言、この日からスペインと本格的な戦争が始まる。この独立戦争を率いたのが、サンマルティン将軍である。この将軍はアルゼンチンを開放すると1818年にチリ、1821年はペルー(ベネズエラのボリーバル将軍と共に)の開放を手伝った、為、南米の解放の父と言われている。
* 後、ヨーロッパ(特にスペインとイタリア)からの移民が急増し、アルゼンチン独特の文化が生まれる。
 
ここをクリックしてください。   BUENOS AIRES ACTUAL - 現在のブエノスアイレス
緑の町。現在のブエノスアイレス
ブエノスアイレス市人口:約 3.000.000
ブエノスアイレス市面積:約 200Km²

ロラ・モラと言う女性彫刻家がいた。ブエノスアイレス市、ラプラタ河岸にある、彫刻は、彼女の作品が多い。多くの作品が、北東、つまり、ヨーロッパ方面を見て立てられている。顔、もしくは、両手は、はるかかなたの故郷へ向かって差し伸べられている。その表情は、なぜか、悲しく、哀愁を浮かべているようだ。はるか、かなたの故郷にあるのだろうか。モラの心は、そのまま、ヨーロッパの移民の心だ。故郷を捨てたはずのヨーロッパ移民達は、この豊かな大地で汗をながし、大農園(エスタンシア)主になって行く。そして、息子達は、ヨーロッパの、大学に留学させていたのだ。ブエノスアイレスは、町作りの真っ最中であった。その為、大学は、建築科に進むものが多かったそうだ。卒業後、故郷へ、帰国したこの建築家達は、どんどんヨーロッパ風の町にブエノスアイレスを作りあげて行く。母国を思う移民達と、その子孫により、ここに南米のパリを、作り上げた。特にアルゼンチンの歴史の舞台、5月広場 (Plaza de Mayo) から、国会議事堂を結ぶ一直線の通り、5月大通り (Av. de Mayo), Marcelo T. de Alvear 通りなどは、ヨーロッパかな? と錯覚する。それでは、ブエノスアイレスの見所を、ご紹介しよう。この5月広場、国会議事堂の辺りはー

ここをクリックしてください。   モンセラ区、サンニコラス区
5月広場 (Plaza de Mayo) この広場の周りには
大統領府 (Casa Rosada) ピンク色の建物。中央玄関には、近衛兵 (Granadero)が護衛している。

この建物の色には、色々な説がある。さてどれが正しいのか、ブエノスアイレスにいらして、ガイドへおたしかめを。そのピンクハウスの裏側には、やはり、 コロンブス像”が、ヨーロッパへ両手を広げて立っている。
* 国会議事堂。国会議事堂前の広場には、国会の、上、下院に捧げられている "A los Dos Congresos" 記念碑、及び、素敵な噴水が見られる。アルゼンチンの 0 基点はこの広場にある。考える人、ロダンの像(複製)もある。ブエノスアイレス、初めての地下鉄(A線)もこの5月通りの地下を走っている。(電車のシートがまだ、木のシートの車両もあるのだ!!!ガッタンゴットン)ちなみに、この ”A" 線の最終駅は、”Primera Junta"と言う駅だ。(この辺りは、カバジート区、カバージョ=馬、カバージート=小馬。昔、昔この辺りは、地方から来る馬車の駅みたいな所だったそうだ)。
* アルゼンチン国立銀行
* カテデラル メトロポリタナ(大聖堂)。この大聖堂には、南米解放の父、サンマルチイン将軍の遺体が、いっしょに戦った無名戦士と共に眠っている。しかし、大聖堂の正面に向かい、右手の半円形に引っ込んだ所に遺体が安置されている理由は、ガイドへ確かめて欲しい。?
* カビルドー当社のホームページを真面目に読んでいただいた方は、このカビルドの建物がいかに重要な建物であるかピーンと、わかる筈!そうー1810525日、5月革命がここで決議されたのだ。現在、博物館になっている。
* 光明の家 (Manzana de las luces) 住所: Perú 272。スペイン植民地時代に、イエズ会の神父達によって建設された、教会 (Iglesia de San Ignacio) が、光明の家の始まり。このワンブロックが、アルゼンチン文化の出発地点といってもけっして間違ってはいない。
例:最初の新聞が発行された。最初の大学、図書館などがこの地で開かれた。18世紀に掘られたと思われるトンネルが発見された。このトンネルは、ピンクハウス、ブエノスアイレス港、サンイグナシオ教会、など色々なところとつながっているそうです。(コメント:見学可能。歴史に興味のある方は、おもしろいかも知れないが、トンネルの入り口のみ見学できるので、ちょっと物足りないかな?
* カフェートルトーニ*5月通りに面している、1858年より営業している喫茶店。週末の夜は、タンゴの生演奏がある。タンゴ好きな人は、ぜひ訪れたいところ。

ここをクリックしてください。   サンニコラス区

世界で2番目に幅の広い79日通りに、コリエンテス通りが交差する。そのど真ん中にどうどうと建っているオべりスコ塔、1936年にブエノスアイレス誕生400年を記念して立てられた塔。旅行者には、目印になってとても便利。この79日通りの並木は、ジャカランダ、アカシアが多い。1-7月頃は、ジャカランダが薄紫の花を咲かせる。黄色いアカシアの花が咲く10-11月頃は、道も黄色の絨毯だ。
* コロン劇場―世界三大劇場。ぜひ、時間を見つけて見学したい所。季節により、見学時間が変更されるので、確認してから行くこと。住所 Cerrito 618。 電話4378-7100
* フロリダ歩行者天国―デパート、レストラン、カフェ、などエレガントなお店で埋め尽くされている。ショッピングに便利な所。また、ぶらり歩きも面白い。いとしむようにギターを、抱え、アルゼンチン民謡を聞かせてくれる、ガウチョ姿の男。見事な曲線美でタンゴを踊っている二人。このような出会いも嬉しいフロリダ通り。
* プエルトマデーロ:ブエノスアイレスは港より発展していった町だった。その為、港には荷物の積み降ろし用の倉庫が数多く立てらていた。しかし、近年、輸送方法が変わった為、港の必要性が後退した。世界中の専門機関が注目した、港地区の再開発を最初に具体化したのがこのPuerto Madero である。古い倉庫等をリサイクルして近代的な高級レストランーオフィス街につくりあげた。海鮮料理、パスタ、焼肉レストラン、パブ等もあるので、素晴らしいブエノスアイレスの夜をお楽しみください。
* コリエンテス通りー"La calle que nunca duerme" 決して眠らぬ道と呼ばれている。その言葉のとうり、朝方まで、レストラン、カフェー、レコード屋さんなどが開いている。特に、金、土曜日の夜など、にぎやかだ。ポルテーニョ(ブエノスアイレス生まれの人を言う略)は、港ッこだが。なにせ、夜が好きな国民だ。ブエノスアイレスが、黒いマイントに追われると、急に生き生きする国民だ。このコリエンテス通りの地下には、地下鉄 ”Bが走っている。”Uruguay の入り口には、タンゴキヨスクがある。タンゴフアンは、ぜひ訪れてみたい所。この地下鉄の車両は、乗務員室 などの日本語が書いてある。これは、懐かしい東京の丸の内線の車両なのだ。!昔の恋人に会った気分!!! この地下鉄でそのまま、ずーと乗っていると終点"Federico Lacroze

ここをクリックしてください。   サンテルモ区
   モンセラ区には裕福な人々が、そして、サンテルモ区には、その日暮らしの人々が住んでいた。
     1870
年、この町を、黄熱病が襲った。その為、裕福な人々は新しい住まいを求め、北方面へ移動す
   る。経済的余裕がない人々がそのまま、この区やボーカ区に留まる。
   その殆どが港や屠殺場の労働者だった。移民の多くを占めたイタリア人は特有のダンディーぶりを発揮し、
   夜になると荒くれ野郎どもは、酒を片手に女達と踊りあかしたそうだ。

* ドレーゴ広場 (Humberto 1 Defensa 街)古い石畳の道。いかにもタンゴの故郷と言う感じの町。日曜はこのドレーゴ広場でノミ市が開かれる。古ぼけた喫茶点でカフェーを飲みながらくつろぐのも楽しい。街角からバンドネオンが聞こえてくる。広場では、アンティーク、アクセサリー、陶器などを売っている出店でいっぱいだ。さて、本物か、偽物か?見分けるのは貴方の鑑定能力次第。買い求めたい品物があったら、さあー、さあー、ポルテーニョ達と値引きのネゴ開始。日曜の出店以外にきちっと店を構えている店もこのあたりは結構あるので、平日も行ける。この区はタンゴハウスが多い。(タンゴページを参照下さい。)

ここをクリックしてください。   ボカ区 1880年から1930年にかけ、多くの移民がこの地を踏んだ。
   ボカ港はブエノスアイレスに最初に作られた港だった。
   労働者達は船を塗った残りのペンキで家を塗ったので、このあたりの家はちぐはぐな原色(赤、緑、青、
   黄)だ。この鮮やかな色彩がボカのシンボルになっている。

* ボカジュニオル、サッカークラブのホームスタジアム(愛称:ボンボネラ)ボカは Mitad + 1(略:半数+1)と言われるほど、アルゼンチンでは一番、サポーターが多く、あの有名なマラドーナが活躍したクラブでもある。
* カミニート(小道):フアンデデイオスフィリベルト作のこの歌は別れた恋人への熱い想いをこめたもので、タンゴフアンなら誰でも知っている。このカミニートは国の文化資産に指定され、正式な呼び方はカミニート屋外博物館。カラフルな家並み前で無名の画家達が自分の絵を売っている。老人の弾くバンドネオンはせつなく、悲しい。

ここをクリックしてください。   レコレータ区

この区はなにもかも高級。この辺りを散歩する犬さえ、頭をキュッと持ち上げて歩いている様に見える。落ち着いたパリの街を想わせる様なマンション、ブチィック、レストラン、カフェー店。その優雅な建物の中に、調和よく広がる公園。レコレータに住んでいると言うのはポルテーニョの一種の優越感。お洒落なカフェーで、熱いコーヒーを飲みながら、道行く人々を眺めているだけでも、結構楽しい。着こなしが抜群にすてきだ。
* レコレータ墓地:1822年に開設されたこの墓地は、ブエノスアイレスで一番古く、10.000 m² の広さ。この墓地の70以上の納骨堂が国の文化財に指定されている。もちろん、この国一番の高級墓地である。歩道はきれいに区分けされ、名門の紋章なども大理石で作られており、まるで、ヨーロッパの小人の町では?と錯覚しそう。ミュージカル、エビータで世界に知られている、María Eva Duarte de Perón のお墓もここにある。彼女のお墓には Familia Duarte と刻まれている。この墓地続きのアルベアル公園では、週末に手作りの民芸品市が立ち並ぶ。

* ピラール聖堂 (Basílica de Nuestra Señora del Pilar) 墓地と隣接。
* 国立美術館 (Museo nacional de Bellas Artes) 。住所: Av del Libertador 1473. 電話: 4803-8814.

ここをクリックしてください。   パレルモ区

この区の 50% 以上の面積はパレルモ公園が占めている。この公園内には電車が走り、大通りが貫き、ディスコ、レストラン、ゴルフ場、釣りクラブ、ヨットハーバー、国内空港まである。さすが、移民の国、国の名前が付いた広場がいたる所にある。ある。この公園はポルテーニョ達の憩いの場所でもある。サイクリング用の小道もある。夏は、時間を惜しむように、我先にと、日光浴を楽しむ姿が見える。勿論、皆、水着だ。東京に例えると代々木公園で、水着をきて寝そべっているのと同じなのだ。南米ならでの風景。コスタネーラ通りに沿い、ラプラタ河が見える。見えない対岸はウルグアイ国。この時点の川幅は約、50Km.。殆どの外国人はこれが河だと言っても中々信&#